装飾という記号
2歳の子供と出かけると、結構人に助けていただきます。
オタクっぽいお兄さんが階段でベビーカーを持ってくれたり、やたら化粧の中国女がエレベーターを詰めてくれたり、
見た目はなかなか近寄りがたかったりしますが、行動は親切で、子育ての苦労が和らぎます。
でもどうして、意外な感じがするのか?
考えてみると、彼らの外見が持つ記号に僕が固執しているからでした。
オタク→コミュ障
中国女→厚顔無恥
濃い化粧→下品
僕は彼らの外見が持つ記号的なイメージだけで彼らを見定めていました。
そんなことをふむふむと考えていたら、
「あ、ワンワン!」
と子供がブルドッグ的な犬に駆け寄りました。
飼い主は金髪、鼻ピアス、全身タトゥーの男性。
「パンクっぽい。アカンアカン」
と思うも束の間、男性は「噛まないから大丈夫だよー」とにっこり。
どれも反社会的な気がする記号はしょせん装飾で、とても気さくでした。
装飾の記号を読み解くことはすごく大切だと思っていて、コミュニケーションを取らずとも思想や行動規範が分かるように思えていたのですが、装飾はその対象が必ずあり、それと一致するとは限りません。
記号だけ見てるのではなく、装飾とその対象の関係性を闇とかないと勘違いしたりするなあ、と気付かされたのでした。
記号しか見えなくなっていた30歳の僕を嘲笑うかのように、2歳の息子は怖そうな人も不審な人もケラケラ笑って接します。